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環境破壊を止める最も効果的な方法

環境破壊を止める最も効果的で簡単だけど難しい方法をご紹介。

簡単だけど難しいってどういうこっちゃ?と突っ込まれそうだが。

「地球の環境破壊を本当に止めるには人類が滅亡するしかない」という声を多く聞くが、これは極論であって、地球環境のために人が死を選ぶことはないだろう。なぜなら人類が滅亡した後の地球が美しかろうと汚かろうと、すでに滅んでしまった人類が関知することではないからだ。結局のところ環境破壊で何が問題かというと、人間以外の種が絶滅することとかよりも、人間にとって住みにくい環境になることの方が問題なのだ。

本当に環境破壊を止めようとするなら、人類という種はあり続けなくてはならない。

人類が滅亡しなくても環境破壊を止めることができる、たぶん唯一の方法、それは、「発電をやめること」だ。やり方はとってもシンプル。発電所をお休みすればいいのだ。

では発電をやめることで環境にどんなメリットがあるだろうか。

日本は未だに発電の電源の6割が化石燃料による火力発電に頼っているので、発電をやめれば化石燃料の消費が減る。原子力発電もやめることになるので、運転による予期せぬ事故などの心配をしなくてすむ。電気がなければ物が大量生産できなくなるので、資源の消費が減る。工場は機能しないので、大気汚染や水質汚染も止まる。環境にとってはいいことずくめ。まさに究極の環境破壊対策だ。

では今度は、発電をやめることで人間の生活はどう変わるだろうか。

大量生産されなくなるため物が簡単に手に入らなくなる。特に医薬品が行き届かなくなる。医療機関が十分に機能しなくなるため、これまで救われてきた命を失うことになる。家電がゴミ同然になるため生活が不便になる。

このように並べるときりがないが、最も重大な変化は経済活動が停止してしまうことだ。逆に言えば、人類の経済活動が環境破壊の原因であって、この発電をやめることの目的は経済活動の停止なのだから当然と言えば当然だ。

しかし人間様的には、「環境破壊は無視できない問題だが、かといって経済活動をやめることは自殺行為でありそんなことは不可能」なのである。そういう理由で、簡単だけど難しい方法なのだ。

エネルギー問題、環境問題、民族抗争、宗教問題。不安材料は尽きないが、知的生命体であるからには行き当たりばったりで不確かな未来を歩むことだけは避けたいものだ。


母の愛

私の母は昔、趣味で機械編みを習っていた。細い毛糸を編み機で編むと、既製品のニットそのもののような出来栄えになる。

その母が当時幼かった私のためにベストを編んでくれた。

それがこれだ。
ベスト全体

アルバムにこのベスト姿の私がよく写っているところを見ると、母は気に入って着せてくれたようだ。そして先日、孫(私の娘)に着せて欲しいと、私にこのベストを渡してくれた。

私にとっては見慣れた懐かしいベスト。しかし改めてみるとシュールなデザインだ。
髪を赤いリボンで結んでいる女の子。彼女の顔はなぜ青いのか?

食あたりでお腹を壊したのか?それにしては青ざめすぎである。
ひょっとしたらウイルス性胃腸炎にでもかかっているのではないだろうか。とても心配だ。

もう少しよく見てみよう。
モチーフ
!!
のっぺらぼう!しかも耳の位置が左右で激しく違う!

これは‥人ならぬ者!

母がどんな意味を込めてこのベストを作ったのか?それを今度は孫に何を伝えようとしているのか?

理由を聞いても母は哀しそうに微笑むだけで何も語ってはくれなかった。打ち明けられない何かがあるのだろう。それも重大な。

母よ、私はこのベストを子々孫々にまで受け継ぐことを誓おう。

だから今更、「適当な色の糸がなかっただけ」とか「編んでるうちに耳の位置が変になっちゃったけど直すの面倒だからそのままにした」とか言わないで、ね?
>母

(母の愛 ~ おしまい)

エコロジーは快楽?

最近エコという言葉を目や耳にしない日はない。それはテレビCMだったり、特番だったり、Webのバナーだったり、電器屋のノボリだったり。

 エコロジーをgoogleで検索してみると、「生態学、環境運動・・・思想、社会活動」と、本来は生態学という意味が今ではいろんな言葉に派生しています。 でもまあなんとなく感覚で自然保護、資源節約、地球温暖化防止のための二酸化炭素排出削減活動みたいに感じます。 人それぞれエコロジーという言葉の捉え方が微妙に違っているんだなと言う検索結果だと...
エコロジーは快楽?


ひ☆ろさんが言われているように、そもそもエコロジーは生態学を意味する。生物が生まれて、生活して、死ぬ。その活動の中で他に与える影響とか何とかを意味するんじゃないだろうか。(テキトー)

ではなぜ 「エコロジー」 が環境保護の意味で使われるようになったのか?

これは憶測だが、 「エコロジー」 が使われ始めた当初は地球環境や他の生態との共生を根ざそうじゃないかという呼びかけの意味が込められていたのではないだろうか。

それが最近の 「エコロジー」 は 「省資源」 の意味で使われることが多いから混乱してしまう。

資源の節約は悪いことではない。でもいくら資源を節約しても、いつかは無くなるものだ。私には単に資源‥主に石油の枯渇問題を先送りしているだけにしか思えない。

最も企業は真剣に地球環境のことなど考えてはおらず、「エコロジー」 は単なるマーケティング用語でしかないのかもしれないが。キャッチコピーに 「エコ」 と加えれば物が売れるのだから。

消費者ができる 「エコロジー」 とは、安易に物を買わないことじゃないだろうかと最近思う。

偉そうなこと言ってますね。ゴメンナサイ。

ハバネロ猛威をふるうの巻(後編)

右手の痛みは3~4日続いた。

痛みが治まった後も包丁を持つたび少し痛んだ。包丁は丁寧に洗っていたが、染みついたハバネロエキスはそう簡単には落ちなかったのだ。仕方なく柄に布巾を巻くなどして使った。全く、ひどい目にあった。


翌週末、また夫がハバネロを収穫した。今回は先週より少ないようだ。だがハバネロを侮るなかれ。数は少なくてもハバネロはハバネロだ。

「包丁はこっち使ってね」

今はもう使っていない古い包丁を夫に渡した。これでハバネロの猛威から逃れるはずだ。

また夫と入れ違いで台所に立ったが、包丁を握っても先週のような痛みはない。ハバネロには別な包丁を使ったのだから当然だ。よしよし。風呂に入っても手に痛みは感じない。よーし、いいぞ。


翌日。
歯科に行くためコンタクトレンズをはめる。眼鏡で行ってもいいのだが、診察中に外したり掛けたりするのが面倒に思えたからだ。

レンズを保存液ですすいで目に入れる。

目がぁ、目がぁあああ!!

ムスカ
と遊ぶ余裕もないほどの激しい痛みが私の目を襲った。

痛い。とにかく痛い。一刻も早く目からレンズを取り出したいが、痛くて目が開けられない。

まるで保存液と間違えて、消毒液でレンズをすすいでしまったときのような痛み。レンズを入れてない方の目で手元にあるボトルを確認する。何度見ても保存液である。消毒液ではない。

何が起こったのかまるでわからない。

いや、私には一つ心当たりがある。

奴だ。奴(ハバネロ)しかありえない。

必死の思いでなんとかレンズを目から外した。鏡を覗き込むと目は充血し涙がにじんでいた。仕方がない今日は眼鏡で行こう。

「あのさー、ハバネロが目に染みて痛くてコンタクトはめられないんだけど!!(怒)」

リビングに戻るといつもながらのほほんとした夫の顔。怒鳴る私に表情一つ変えない。ちっ。こいつに怒っても無駄か。少し冷静になって洗面所での顛末を話した。

「でもさ、どこにハバネロエキスが付いてんのかわかんないんだよね」

レンズやコンタクトケア用品に付いてるとは考えられないし、手は痛くないから付いてないだろうし。

「えー、手じゃない?」
「だって手は痛くないんだよ」
「舐めてみれば?」

釈然としないまま恐る恐る右手の人差し指を舐めてみる。

「辛い」
「でしょ?」

「でしょ?じゃないだろ!!誰のせいで地獄を見たと思ってるんだ!!」

しかし夫は「ふふふ‥」と不敵に笑うだけ。

「殺ス!!根こそぎ引っこ抜いてくれるわ!!(怒)」

私のどんなリアクションにも言動にも動じない夫に怒り疲れ、呆れ、なんかもういいやって、そのまま怒りはフェードアウト。

再び冷静に戻りキッチンをチェック。今日はまだ包丁もまな板もさわっていない。さわったのは、、

「ハバネロ切った後、包丁とまな板洗うのにスポンジ使ったよね?」
「うん」

たぶんそれだ。犯人は食器洗いのスポンジだ。コンタクトを入れる直前、私は食器を洗ったことを思い出した。

「(ハバネロには)食器洗いスポンジ禁止!!(怒)


これで今度こそハバネロの猛威から逃れられるのだろうか?

いや、まだ安心はできない。

瓶詰めのハバネロ

何しろ我が家には、まだ大量のハバネロがあるのだから。奴があり続ける限り脅威に怯え続けることだろう。

ていうか、誰か、もらって、、(必死)



(ハバネロ猛威をふるうの巻 ~ おしまい)

教訓その2: ハバネロを調理したあとは専用のスポンジで調理器具を洗いましょう。

ハバネロ猛威をふるうの巻(中編)

「ゴム手袋ない?」

ザルいっぱいに収穫したハバネロを手に、夫が聞いてきた。ハバネロを乾燥させて鷹の爪のようにするために、小さく切るのだという。(ハバネロは肉厚なのでそのままでは乾燥しにくいのだそうだ)

ゴム手袋を渡すと、夫は手にはめキッチンに立った。
ハバネロを包丁で縦に4等分し、手で丁寧にワタと種を取り除いていく。自分の手で育て、収穫したものを調理する夫の姿は、真剣な表情とは逆にほほえましく見えた。


作業を終えた夫がキッチンを出ると、今度は夕食の準備をするため私が入れ違いでキッチンに入った。

包丁で野菜を切っていく。すると、右手がじんじん痛くなってきた。

このところDSのゲームにはまってたからそのせいだろうか?

まさかゲームのやり過ぎで手が痛くて料理できませんとは言えず、痛みに堪えながらに夕食の支度を終えた。


一日の終わりに娘と二人で風呂に入る。すると湯船に右手を入れると燃えるように熱い。まるで手のひらを火傷でもしたようだ。

これはやばいかも??

いくらなんでもゲームのやり過ぎでこの痛みはないだろう。何かの病気だろうか?近いうちに整形外科で診てもらった方がいいだろうか?

夫が入れ違いで風呂に入った。しばらくして夫が風呂から上がったので、早速手のことを相談した。すると、


「ああ、俺もだよ」

なに!?

「ハバネロ切ってるとき、間違って手袋切っちゃってさ、そしたらそこからハバネロが染みて痛かったんだ




って、この手の痛みはハバネロかよ!!


ハバネロは食べて辛いだけでなく、汁にさわると痛い(それも激しく!)劇物であるということが判明。

んんんん?つまり、私の手が痛いのは、ハバネロエキスがべっとりついた包丁の柄を握ったことが原因ってか?

「(ハバネロ切るとき)包丁禁止!!(怒)


(まだつづく)

教訓その1: ハバネロを調理するときには専用の包丁を使いましょう。

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