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温暖化の犯人はCO2なのか?

わが国の大部分のマスコミや関係機関がCO2による地球温暖化を疑いのない事実と報じ、また一般の人々もそれを無条件的に信じる一方で、科学的決着はまだついていないとする意見、あるいはCO2による温暖化そのものを否定する意見も、実は多数存在しています。

これはエネルギー・資源学会の学会誌2009年1月号に掲載された、特集「地球温暖化:その科学的真実を問う」の冒頭を引用したものである。

温暖化とCO2の因果関係はないかもしれないというのだから、これまで信じてきた人にとっては衝撃的なニュースだろう。なにより京都議定書の前提が崩れるため、その議決内容も各国の署名も無意味なものになる。

京都議定書に端を発して排出権取引などの様々なビジネスが生まれた。しまいには海に捨ててもいい物リスト(ロンドン条約 - 廃棄物海洋投棄)にCO2を追加し、CO2を海に捨てる事業まで始まろうとしている。(すでに始まってるのか?)

世界的に資本主義色の強い昨今、守銭奴と成り果てた人類にとって温暖化も大事なビジネスの種。「実は温暖化とCO2は関係ありませんでした ( ̄∇ ̄*)ゞ テヘヘ」なんてことになっても、いまさら京都議定書を引っ込めることはないのかもしれない。


元ネタ:
温暖化:主犯は人間活動か自然変動か 専門家が学会誌討論
エネルギー・資源学会

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環境破壊を止める最も効果的な方法

環境破壊を止める最も効果的で簡単だけど難しい方法をご紹介。

簡単だけど難しいってどういうこっちゃ?と突っ込まれそうだが。

「地球の環境破壊を本当に止めるには人類が滅亡するしかない」という声を多く聞くが、これは極論であって、地球環境のために人が死を選ぶことはないだろう。なぜなら人類が滅亡した後の地球が美しかろうと汚かろうと、すでに滅んでしまった人類が関知することではないからだ。結局のところ環境破壊で何が問題かというと、人間以外の種が絶滅することとかよりも、人間にとって住みにくい環境になることの方が問題なのだ。

本当に環境破壊を止めようとするなら、人類という種はあり続けなくてはならない。

人類が滅亡しなくても環境破壊を止めることができる、たぶん唯一の方法、それは、「発電をやめること」だ。やり方はとってもシンプル。発電所をお休みすればいいのだ。

では発電をやめることで環境にどんなメリットがあるだろうか。

日本は未だに発電の電源の6割が化石燃料による火力発電に頼っているので、発電をやめれば化石燃料の消費が減る。原子力発電もやめることになるので、運転による予期せぬ事故などの心配をしなくてすむ。電気がなければ物が大量生産できなくなるので、資源の消費が減る。工場は機能しないので、大気汚染や水質汚染も止まる。環境にとってはいいことずくめ。まさに究極の環境破壊対策だ。

では今度は、発電をやめることで人間の生活はどう変わるだろうか。

大量生産されなくなるため物が簡単に手に入らなくなる。特に医薬品が行き届かなくなる。医療機関が十分に機能しなくなるため、これまで救われてきた命を失うことになる。家電がゴミ同然になるため生活が不便になる。

このように並べるときりがないが、最も重大な変化は経済活動が停止してしまうことだ。逆に言えば、人類の経済活動が環境破壊の原因であって、この発電をやめることの目的は経済活動の停止なのだから当然と言えば当然だ。

しかし人間様的には、「環境破壊は無視できない問題だが、かといって経済活動をやめることは自殺行為でありそんなことは不可能」なのである。そういう理由で、簡単だけど難しい方法なのだ。

エネルギー問題、環境問題、民族抗争、宗教問題。不安材料は尽きないが、知的生命体であるからには行き当たりばったりで不確かな未来を歩むことだけは避けたいものだ。


エコロジーは快楽?

最近エコという言葉を目や耳にしない日はない。それはテレビCMだったり、特番だったり、Webのバナーだったり、電器屋のノボリだったり。

 エコロジーをgoogleで検索してみると、「生態学、環境運動・・・思想、社会活動」と、本来は生態学という意味が今ではいろんな言葉に派生しています。 でもまあなんとなく感覚で自然保護、資源節約、地球温暖化防止のための二酸化炭素排出削減活動みたいに感じます。 人それぞれエコロジーという言葉の捉え方が微妙に違っているんだなと言う検索結果だと...
エコロジーは快楽?


ひ☆ろさんが言われているように、そもそもエコロジーは生態学を意味する。生物が生まれて、生活して、死ぬ。その活動の中で他に与える影響とか何とかを意味するんじゃないだろうか。(テキトー)

ではなぜ 「エコロジー」 が環境保護の意味で使われるようになったのか?

これは憶測だが、 「エコロジー」 が使われ始めた当初は地球環境や他の生態との共生を根ざそうじゃないかという呼びかけの意味が込められていたのではないだろうか。

それが最近の 「エコロジー」 は 「省資源」 の意味で使われることが多いから混乱してしまう。

資源の節約は悪いことではない。でもいくら資源を節約しても、いつかは無くなるものだ。私には単に資源‥主に石油の枯渇問題を先送りしているだけにしか思えない。

最も企業は真剣に地球環境のことなど考えてはおらず、「エコロジー」 は単なるマーケティング用語でしかないのかもしれないが。キャッチコピーに 「エコ」 と加えれば物が売れるのだから。

消費者ができる 「エコロジー」 とは、安易に物を買わないことじゃないだろうかと最近思う。

偉そうなこと言ってますね。ゴメンナサイ。

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